2011年10月6日(木)

2011年10月6日(木)


『わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である』ピリピ人への手紙1章21節


私達が決して避ける事ができない道がある。
それは「死」への道だ。
「死」と言う響きは人によっては耳を塞ぎたくなる程、聞きたくない言葉かもしれない。
でも誰も「死」を逃れる事はできない。

大切な事は、誰もが迎えなければならない死をどのようにして迎えるかだと思う。
ある人は言った。
「人は生きたようにしか死ねない」と。
それも一理あるかもしれないが、皆がそれに該当するとは思わない。

でも人が死んだ後、どこに行くのかをクリスチャンは知っている。
それは天国だ。
クリスチャンが死を迎えると、すぐに神様との熱い抱擁が待っているのかも知れない。
先に天国に行っている愛する人との再会を喜ぶ声があちこちで聞こえるだろう。
神様に頭を撫でられながら、「忠実な僕よ、良くやったな」と褒めてもらえるだろうか。

クリスチャンにとって「死」は決して不幸ではない。
勿論ひとときの寂しさはあるが、永遠の別れではない。
「死」は天国への入口だ。
永遠に続く喜びが始まる日なのだ。

だからこそ今を悔いのないように精一杯生きよう。
イエス様を証ししよう。
語るだけが伝道じゃない。
私達の存在がイエス様を現しているのだから。

God Bless You!!


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