2011年10月22日(土)

2011年10月22日(土)


『たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます』詩篇138篇7節


救いは行いによるのではない。
それは神の業だ。
私達が何か偉大な働きをしたから、神は私達を称賛し救ってくださったわけではない。
救いは神からの一方的な「恵み」によるのだ。

私達は知らなかったのかも知れない。
神が私達の敵の怒りをしずめて下さった事を。
友達と仲直りできた事。
同僚や上司とうまくやれている事。
嫌なお隣さんが急に優しくなったりした事も。
神様が仲介者となって相手の心を変えてくださっていたとしたら。

確かに神は私達を救ってくださる。
信じる者には永遠の命が与えられるのは勿論、私達が悩みの中にあっても、神はそこから救ってくださる。

私達は自分の力で解決したと思っているのかも知れない。
でも神が助けてくださったとしたら、どうだろう。

私達は、神を賛美せずにはおれないだろう。
もし、本当にその事を信じる事ができたなら、神を愛さずにはおれないだろう。
「イエス様、ありがとう!!」と叫ばずにはおれないだろう。

事実、神はそのようにされたのだ。
私達に「恵み」を与えて下さった。
自分の力で生きてきたなんてとんでもない事だ。
私達は神の「恵み」がなかったら、一瞬たりとも生きる事はできないのだ。
神の愛がなかったら、私達は路頭に迷っていただろう。

感謝しても、感謝しても、尚足りない神の「恵み」を私達はいただいているのだ。
そう、今この瞬間も私達は神の「恵み」の上に立っているのだ。

God Bless You!!

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