2011年10月18日(火)

2011年10月18日(火)


『わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、み名をもってとなえられる町をごらんください。われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです』ダニエル書9章18節

私達は、自分がどれだけ駄目なのかを本当は良く知っている。
どれくらい弱いのかも知っている。
ただそれを認めたくないだけなのだ。
あるいは認めてはいるけれど、その先がわからないでいる。

だから何かをしなくてはと思うか、何もしないかだ。
でも、神に祈ることが何にもまさる偉大な信仰の業だということを知らないでいるのかもしれない。

私達が「耳を傾けて聞いてください」と祈る前に、神は私達に耳を傾けておられる。
ただ私達が祈らないだけだ。
「目を開いてください」と祈る前に、神は私達を見ておられる。
ただ私達が神を見ようとしないだけだ。

私達は神がどんなに偉大なお方かを告白するよりも、自分がどんなに頑張っているかを主張したがる。
私達の努力に神が微笑んでくださると思っている。
でも神は微笑まない。
むしろ、どうか私を助けてくださいと請い願う人に、神は微笑み、手をさし延ばされるのだ。

私達は義人じゃない。
私達を義人として見てくださる神に信頼するのだ。
神のあわれみに喜んですがろう。
神と語ろう。
神を見よう。
神もそう願っておられるのだから。

God Bless You!!

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