2月28日(土)の手紙


『わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある』ローマ人への手紙1章14節


パウロは、負い目を感じていた。
キリストが、ご自身を捧げて彼の罪を贖い、裁きと死から解放してくださった。

それに対して、パウロは、「わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある」と語っている。

なぜだろう。
ギリシヤ人や未開の人、賢い者や無知な者が、パウロのために死んだのではない。
キリストが、死なれたのだ。

だけど、自分のために神の御子が犠牲になってくださった事実に圧倒されたパウロは、神の贖いの愛をすべての人に知らせる義務を感じた。
キリストに対する恩義から、救い主が必要なすべての人に対する責任を感じたのだ。

神様の愛という贈り物は、努力で得られるものではない。
主は、ご自分のすべてを、私達のために捧げてくださった。
だから、神様の惜しみない愛を、受け取る事ができるのだ。
そして私達は、主のために、犠牲を払いすぎるという事はないから安心だ。

God Bless You!!


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