2月23日(月)の手紙


『その女主人にむかって、「ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はその重い皮膚病をいやしたことでしょう」と言ったので』列王記下5章3節


多くのクリスチャンは、神様が何か大切な事をなさる時は、特別な人を用いられるのであって、自分のような普通の人の役目は、イエス様が再臨されるまで、ただ待っている事だと思っている。

だけど、それは違う。
聖書を見ると、神様は普通の人を用いて、御心を成される。
旧約聖書に記されている預言者でない人々や、新約聖書に記されているイエス様の弟子達を思い出して欲しい。

列王記下5章に出てくる少女は、召使いだった。
だけど、彼女は、ナアマン将軍にイスラエルの預言者のもとに行って、病気を治してもらうよう提案した。

これは、実に、大胆な提案だった。
というのは、ナアマンがイスラエルに行く事は、彼の国の神々に背を向ける事になるからだ。
そのような事をすれば、防衛の妨げになるという評判を、人々から受けるかも知れない。
この名もなき召使は、こんな提案をして、大きな犠牲を払う危険があったのだ。

だけど、彼女は、癒しがどこから来るのかを知っていた。
そして、ナアマンの健康を深く気遣っていたので、勇敢に癒しの源である唯一の生ける神様について語ったのだ。

この少女のように、私達も自発的に自らを神の器として捧げよう。
神様は、驚くべき事を成すために、普通の人々を捜しておられるのだから。

God Bless You!!


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