2月21日(土)の手紙


『イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」』ヨハネによる福音書1章36節


神殿礼拝の時代の事だ。
エルサレムは、過ぎ越しの祭の羊を買い求める多くの人達でごった返していた。

神様の命令は、はっきりしていた。
いかなる傷もない、完全な羊を捧げなくてはならなかった。

だから、過ぎ越しの祭の数日前になると、人々は自分の羊の群れを市内に引いて来て、レビ人に傷や病気の審査を受けなくてはいけなかった。
彼らは、神様の命令がしっかり守られるように、ふさわしい羊を選別した。

それぞれの家の家長は、神殿の山に来て、何人で過ぎ越しの食卓を囲むのかレビ人に話した。
そして、レビ人が群れの中からふさわしい小羊を選び出す。
そして、選んだ小羊を指差して、「見よ、神の小羊!」と大声で言うのだ。

時が満ちて、神様はご自身の完全な小羊を送られた。
そして、バプテスマのヨハネというレビ人が、特定の家族のためだけではなく、全人類のために、素晴らしい宣言をした。
イエス様が歩いて来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊!」と言ったのだ。

完全な小羊が、私達のために選ばれている。
過ぎ越しの祭は、イスラエルの民が奴隷の束縛から解放された体験を象徴する行事だけれど、その本当の意味は、犠牲となってくださった神の小羊、すなわちメシヤであるイエス・キリストの中にあるのだ。

God Bless You!!


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