『その時、主はさばきづかさを起して、彼らをかすめ奪う者の手から救い出された』士師記2章16節
士師記には、神の民が主を忘れて背いていく様が記録されている。
ヨシュアやその時代の人達が亡くなると、イスラエルの民はエジプトの地から自分達を連れ出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、彼らの回りにいる国々の民の神々に従い、それらを拝んだ。
神様への忠誠心が失われていた暗い時代に、信仰の英雄などあり得ないと思われるかも知れないけれど、この時代に生きた四人の人、ギデオン、バラク、サムソン、エフタは、ヘブル人への手紙11章に信仰の英雄として名を連ねている。
彼らは、ノア、アブラハム、モーセなどと並んで、その信仰をたたえられている。
士師の時代は、霊的な暗黒時代だったけれど、士師記は、これらの人達を欠点がありながらも神様の召しに応答した人として描いている。
聖書がたたえているのは、彼らの完璧さではなく、その信仰だ。
彼らも私達と同じように、神様の恵みにあずかった人達だった。
どの時代にも、神様は、主ご自身とその御言葉に忠実な人を起こしてくださる。
その生き方を計るのは、失敗の少なさではない。
その人の人生に、神様の豊かな赦しがある事だ。
そして、主の召しに応える信仰がある事だ。
神様が勝利をくださった人は皆、もともと英雄っぽくない人達だ。
だけど、キリストへの信仰は、凡人を英雄にする力がある。
God Bless You!!
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