12月9日(金)の手紙


2016年12月9日(金)

『イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、』ヨハネによる福音書11章33節


人生の大きな転機を迎えた人がいた。
長年務めた会社を退職して、新しい道を歩む事になったのだ。

最後の日の挨拶で、彼女は泣いた。
そして、「泣いてごめんなさい」と何度も言った。

泣いては申し訳ないと思うのは、なぜだろう。
私達は、涙は性格の弱さやもろさの現れであり、そういう部分が自分にある事を嫌っているのだろうか。
または、居心地の悪い気まずい雰囲気を作ってしまったと思うのかも知れない。

だけど、人の感情は神から与えられたもので、神に似せて造られた特徴だ。
神は、悲しまれる。

創世記では、ご自分の民が罪のために神から離れてしまった事を怒り悲しまれた。
イエス様は人となった神だけれど、友人ラザロの死を姉妹のマルタとマリヤと共に深く悲しまれた。

イエス様は、激しく感動し、また心を騒がせ、涙を流された。
イエス様が「泣いてごめんなさい」と謝られたとは思えない。

いつの日か天国に行くなら、悲しみや別離、苦しみはもはやない。
神が、私達の目から涙をすっかり拭い取ってくださる。
その時までは、涙に暮れる日もあるだろう。
だけど、涙を謝る必要はない。

God Bless You!!

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