12月24日(水)の手紙


『それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ』ピリピ人への手紙2章9節~10節


ベツレヘムの聖誕教会の入口は、この数百年の間に二回小さくされたそうだ。
二度目の縮小工事の目的は、略奪者が馬に乗ったまま会堂に入るのを防ぐ事だった。
教会に入るには身をかがめなければならないので、今日、入口は「謙遜の扉」と呼ばれている。

歳をとると、ひざを曲げる事は痛みを伴い困難だ。
勇気を出して、ひざに人口関節を入れる手術をする人もいる。
ひどくなる一方の痛みに何年も苦しむぐらいなら、少しの間、歩けない不自由を我慢しようという訳だ。

霊的な意味でも年月が経つと、膝が曲がりにくくなる事がある。
自分本位なプライドに何年も凝り固まっていると、そのうち身動きができなくなる。
へりくだる事が、ますます困難で痛みを伴うものになるからだろう。

人を従える立場についた事で自分が偉くなったように錯覚するなら、本当の偉大さは神様と人に従う事だという真理を学ばなくてはいけない。

イエス様の降誕を祝う時、「謙遜の扉」を思い出して欲しい。
それは、私達に新しい膝が必要だと教えてくれる。
身を低くする事ができる膝だ。
へりくだった姿勢だけが、神様の御前に進む時に受け入れられる姿勢なのだ。

私達のところに来るために、ご自分の身を低くしてくださったお方をあがめるために、最もふさわしい事は、へりくだりなのだから。

God Bless You!!


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