12月13日(土)の手紙


『こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた』使徒行伝12章5節


ひとりの老婦人が、療養所にいた。
彼女は目が見えず、7年間も寝たきりだったけれど、にこやかで感じの良い人だった。

ある日、彼女は夢を見た。
彼女は、美しい庭にいた。
足元の芝生は贅沢なじゅうたんのようで、花の甘い香りが漂っていた。
彼女はその光景にうっとりして、ひざまずいて祈ろうとした。

だけど、目覚めてみると、そこは療養所のベッドの上だった。
彼女は微笑んで、主治医に言った。
「あのね、先生。
はじめは、ちょっとがっかりしたのよ。
でも、ある意味では正夢でした。
この古いベッドは、この7年間、ずっと祈りの庭だったのですから」と。

彼女の祈りは、この部屋を黙想と祝福の聖なる場所にしていたのだ。

ペテロが投獄された時、教会の人達の祈りが奇蹟をもたらした。
祈る事は、いつも簡単とは限らない。
真のとりなしの祈りには、自己訓練が必要なのだ。
私達の多くは、本音の祈りではなく、人の耳に霊的に聴こえるような祈りをしがちだから。

神様と祈りは、決して切り離す事はできない。
一方をおろそかにすれば、他方もおろそかになる。

神様は、困難な状況を用いて、私達をひざまずかせる事がある。
そこで私達は、主とその御力を尋ね求め、絶えず御顔を慕い求めるだろう。
困難を祝福に変える事のできる唯一のお方を、私達は仰ぎ見る。

God Bless You!!


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