12月11日(金)の手紙


2015年12月11日(金)

『ダビデはナバルが死んだと聞いて言った、「主はほむべきかな。主はわたしがナバルの手から受けた侮辱に報いて、しもべが悪をおこなわないようにされた。主はナバルの悪行をそのこうべに報いられたのだ」』サムエル記上25章39節


ダビデは、イスラエルの王になる前、「良い行いは必ずしも報われない」という体験をした。

サウルから逃れて部下達と一緒に荒野にいた時の事だ。
彼らは、裕福なナバルの地所や若者達を守ってあげた。

だけど、ナバルの好意を得ようと使者を送ると、辱められ帰らされた。
ダビデは、「あの男は善に代えて悪を返したのだ」と怒った。

ナバルの妻が素早く介入したので、ダビデは復讐せずに済んだけれど、間もなく、神はナバルを打たれ、彼は死んだ。

ダビデは、自分が過ちを犯さないように、主が守ってくださった事を感謝した。
また、主がナバルの悪を、その頭上に返された事をたたえた。

お礼を言わない人や、過分な贈物を当然の権利のように言う人。
また純粋な親切を、恩を売っているように解釈したり、善意の忠告に反発したりする人。
このような人達によって、私達もダビデと同じような経験をしたかも知れない。

だけど、ダビデから学ぼう。
善に悪で報いられるような場合でも、自分から何かをしようとせず、神にすべてをお任せしよう。
いつの日か、神はすべての悪を正されるのからだ。

God Bless You!!

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