12月11日(木)の手紙


『このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである』マタイによる福音書23章28節


家をすみずみまで掃除するのは、気持ちのいいものだ。
だけど、せっかくピッカピカにしても、その状態は長続きしない。

そしてついに、ある程度片づけておけば、そんなにきれいでなくてもきれいに見えるものだと自分を納得させる。
すると、きれいに見えればよいと思うようになっていく。

こういう妥協は、自分に都合がよいだけではなく、それなりに真実に聞こえる。
だけど、晴れた日に窓から日が差し込むと、家のほこりや汚れがあらわになる。

イエス様が地上を歩まれた時代、律法学者やパリサイ人は、心の聖さをおろそかにして、見かけの敬虔さばかりに気を取られていた。
だけど、イエス様の光に照らされて、彼らの偽善的な本性があらわになった。

主は、敬虔な行為自体を悪いと言われたのではない。
彼らは、敬虔に見える行為をする事で、内面の醜さを隠していたのだ。
心の掃除を、ずっと怠っていた。

汚れた心をきれいにしないのに、きれいに見せかけるのは悪い事だ。
だから、心の掃除をしよう。
私達の心を、聖めていただこう。

God Bless You!!


a:291 t:1 y:0