11月29日(土)の手紙


2014年11月29日(土)


『神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません』詩篇51篇17節


ダビデは、苦悩のためか、矛盾しているようだった。

詩篇51篇16節では、「たとい私がささげても、まことに、あなたはいえにえを喜ばれません。
全焼のいけにえを、望まれません」と叫んでいる。
だけど、19節では、「あなたは、全焼のいけにえと全焼のささげ物との、義のいけにえを喜ばれるでしょう」と言っている。

一体、神様は、私達のいけにえを望まれるのだろうか。
それとも、望まれないのだろうか。

いけにえは、夫婦喧嘩の後に夫が妻に贈る花に似ている。
妻は、普段、花が必要なのではない。
ただ、それが夫の正直な気持ちの表れであるなら、意味あるものになる。

だけど、その花が単なる形式で、彼が少しも後悔していないなら、ふたりの仲はいっそう悪くなるだろう。

神様は、いけにえとして捧げられた動物が、欲しかったのではない。
ヘブル人への手紙には、「雄牛とやぎの血は、罪を除くことができない」と書かれている。
このいけにえは、私達の罪を、イエス様が死んで贖ってくださる事を示唆している。

大切な事は、いけにえを捧げる時の態度だ。
もし、後悔も改める気もないのに、捧げ物をするなら、その儀式は茶番劇だ。
だから、ダビデは「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」と語ったのだ。

God Bless You!!


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