11月2日(日)

2014年11月2日(日)


『わたしの第一回の弁明の際には、わたしに味方をする者はひとりもなく、みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。しかし、わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて、すべての異邦人に聞かせるように、主はわたしを助け、力づけて下さった。そして、わたしは、ししの口から救い出されたのである』テモテへの第二の手紙4章16節~17節


学んだ事のひとつは、人に対して過度な期待をしないという事だ。

一生懸命に家族に尽くしたり、友人を心配したりしても、その人が成長しなかったり、その労苦に少しも報いてくれなかったりという事がある。

自分の働きが、人の手柄になる事さえある。
何かをしてあげたから、必ず感謝してもらえると思っているなら、「あれだけしてあげたのに…」と、深く傷付く事もあるだろう。

そのようにがっかりした時は、自分の動機を思い返してみるといい。
何らかの実績を上げて、素晴らしい人だという評判をもらいたいという欲は、なかっただろうか。
どう応答するかは相手の責任だとゆだねて、喜んで自分を捧げる事ができるだろうか。

パウロは、伝道牧会の最中、みんなから見捨てられる体験をした。
だけど、彼の視点は、神様がお与えになった御力に合わせられていた。

イエス様だけが与えられるものを、人からもらえると期待すべきじゃない。
その期待は、非現実的だ。

私達の務めは、ただ自分を捧げる事だ。
結果は、主にゆだねよう。

いつの日か、イエス様が「よくやった。良い忠実なしもべだ」というねぎらいの言葉をかけてくださるのだから。
それだけで、十分だ。

God Bless You!!

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