2016年11月18日(金)
『知者の口の言葉は恵みがある、しかし愚者のくちびるはその身を滅ぼす。』伝道の書10章12節
匿名は卑怯者の隠れ蓑だと言う人がいる。
匿名で寄せられたメールや手紙などから見ても、その通りだと思う。
匿名や偽名で自分を隠す人は、そうする事で攻撃的なコメントをしたり、怒りを誘発したりする自由を手にすると考えるようだ。
匿名にすれば、意地の悪い事を言っても、自分の言葉に責任を取らなくてもよいからだ。
匿名の投書をする時は、立ち止まって再考するべきだ。
自分が言ったと誰にも知られたくない事は、恐らく言うべきではないのだろう。
そんな時は、次のどちらかを選択しよう。
つまり、匿名の投書をボツにするか、とげのない親切な言い方で表現できないだろうかと投書を書き直すか。
エペソ人への手紙は、「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい」と述べている。
もし、自分の名前を伏せたいと思っているなら、私達の動機は「助けたい」ではないのかも知れないと疑ってみるべきだろう。
家族や仕事仲間、あるいは牧師に誰かの陰口を言いたくなったら、なぜ自分がそれを言ったと知られたくないのか考えてみよう。
神は、陰口を言う人の口で証しして欲しいとは思わないだろう。
「主は、あわれみ深く、怒るにおそい」お方だ。
私達も陰口など言わずに、他人に対して忍耐し、祈ろう。
決して、匿名を中傷に用いるような卑怯な事をしてはいけない。
God Bless You!!
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