1月9日(金)の手紙


『そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる』ペテロの第一の手紙1章6節


人生には、ある期間集中的に努力して勝ち取ったならば、その栄誉は一生ついてまわるものがある。
例えば、博士号だ。

何らかの専門分野で博士号をとろうとすれば、膨大な時間とエネルギー、持てる限りの知力、多額な授業料が必要だけれど、いったん取得してしまえば、50年経っても「○○博士」と呼んでもらえる。

一定期間の奮闘努力の結果として、生涯続く栄誉を勝ち取るのだ。

ペテロの第一の手紙には、試練はやがて素晴らしい結果を生むと書かれている。
私達はこれを「試練という学校」などと言うけれど、勿論そういう名の学校がある訳ではない。

ペテロは、私達の人生に思いがけず訪れる試練について書いた。
試練は一時的であり、それは、永遠に続く恵みを与えると教えているのだ。

私達は、試練の中でも喜ぶ。
試練そのものを喜ぶのではなく、この試練が永遠の栄誉と栄光を連れてくるのを喜ぶのだ。

試練は悲しく苦しいものなので、将来に良い事が約束されているとは思えない。
だけどペテロは、大いに喜んでいなさいと語っている。
未来を見据えて、約束されている永遠の喜びを思いなさいと言いたかったのだろうか。
その喜びによって、この一時的な試練の意味を理解する事ができるのだろう。

God Bless You!!


a:235 t:1 y:0