1月7日(水)の手紙


『わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています』使徒行伝24章16節


人間には善悪の判断機能、即ち良心が生まれながらに与えられている。
これは、善を愛し悪を憎むという心だ。

だけど、事の善悪が誰にとっても同じとは限らない。
仇討ちを賞賛する文化もあれば、友を裏切っても良い文化もある。

こんなニュースが取り上げられていた。
腕時計を盗んで捕まった12歳の少年が、警官に語ったところによると、彼は以前、母親に万引きしてプレゼントをしてあげたので、父親にも同じようにしなければいけないと思ったというのだ。
父親に何もしてあげなかった事に心を痛めても、盗みをした事に対する罪悪感はゼロだった。

私達には罪の性質があるので、自分勝手な善悪の判断はあまり頼りにならない。
また、常に修正が必要だ。

第一にすべき事は、イエス様を信じて神様と正しい関係を持つ事だ。
イエス様が罪の代価を支払ってくださったので、私達の邪悪な良心はきよめられた。

だけど、これで終わりではない。
私達は、神様の御言葉によって変えられていく必要がある。
聖霊様が、心の監視カメラを働かせて、私達の言動や態度を映し出し、主と同じものに変えられるようにと促してくださる。

良心に従いなさいという助言は、その良心が神様の御言葉に導かれているという前提があって、初めて有効になるのだ。

God Bless You!!


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