1月31日(日)の手紙


2016年1月31日(日)

『見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました』詩篇51篇5節


私達に嘘をつくように教えた人はいない。
ダビデは、「私は咎ある者として生まれ」たと認めている。
しかし、罪の中でも、ダビデはどこに行くべきか知っていた。
彼は罪咎を洗いきよめてくださる憐み深い神のところに行ったのだ。

生きていく中で、自分には常に罪があるという現実を認めるなら、片時も神から離れられないと思い知らされるだろう。

私達が心安らかで、霊的に健全であるためには、神のご臨在と御言葉の力が必ず必要になる。
神は、私達が自分の過ちを告白し、主の赦しときよめにあずかる事を待ち望んでおられる。

罪を告白するなら、神の慈しみの中に飛び込んでいける事を、どうか忘れないで欲しい。

God Bless You!!

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