1月23日(土)の手紙


2016年1月23日(土)

『全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ』詩篇98篇4節


鳥はなぜ、さえずるのだろう。
そうする能力があり、そうする宿命にあるからだ。

鳥は、縄張りを主張したり、求愛したりするためにさえずる。
だけど、さえずりは、その役目以上に、ただ美しく素晴らしいものだ。
自然は美しさと音楽にあふれている。

鳥がさえずるのは、喉頭ではなく鳴管があるからだ。
鳴管は、鳥の胸の奥にある発声器官で、さえずりに適した独特の構造になっているそうだ。
鳥がなぜさえずるのかという問いに対して、これは、少なくとも生物学的な回答だ。

だけど、それだけではない。
鳥がさえずるのは、創造主が、鳥に歌を与えられたからだ。
ある詩人は、鳥は「天の高さと聖い心だ」と詩に書いて、それは、私達が創造主を見上げるために創られたのだと述べている。

鳥は、主が私達に賛美の歌を与えてくださった事を思い出させてくれる。

だから、神の創られた小さな鳥が、声高らかに歌うのを聴いたなら、私達も救いの歌を賛美しよう。
綺麗な声でも、しわがれ声でも、小鳥の賛美に合わせて、創り主であり救い主である神を、大きな声で賛美しよう。

詩篇の作者は、空の鳥が枝の間でさえずっているのを見て、「私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう」と主を賛美したのだから。

God Bless You!!

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