1月16日(金)の手紙


『互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい』エペソ人への手紙4章32節


傷付けられると、仕返しをしたいという衝動にかられるかも知れない。
だけど、本当の意味で「借りを返す」事はできない。

仕返しをしても、決して帳消しにはならない。
なぜなら、いがみ合っている人達は、常により多くの非が相手にあると思っていて、平等で公平な判断ができないからだ。
赦しだけが、苦い記憶の中に渦巻く痛みを静める事ができる。

パウロは、エペソの教会の人々がクリスチャンとして生きていくには、互いに赦す心が不可欠であると知っていた。
神様が赦してくださったのだから、赦しなさいと懇願した。

赦す事は、忘れる事でも大目に見る事でも、また表面的に取り繕う事でもない。
赦すとは、仕返しという悪循環を断ち切り、解放されて新しく出発する事だ。
赦しは、愛を実践する上で、最も困難な仕事で、最も大きなリスクを伴う。

また赦しは、神様の憐れみに歩調を合わせて歩む事だ。
愛の最高峰に、達する事だ。

赦す事によって、私達は囚われ人を解放するけれど、その囚われ人とは、他でもない、私達自身なのだ。
復讐は、自らを囚われ人にし、赦しは自らを解放する行為なのだから。

God Bless You!!


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