2015年9月3日(木)
『どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように』イザヤ書64章1節
預言者イザヤは、昔のようになって欲しいと願っていた。
聖書には、神がモーセと語るためにシナイ山に降りて来られたと書かれている。
イザヤは、この出来事が再来する事を待ち望んでいた。
だけど、神は、次のように言われた。
「先の事は、見よ、すでに起こった。
新しい事を、わたしは告げよう。
それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう」。
「新しい事」とは、イエス様だった。
神ご自身が、実際、地上に来られたのだ。
だけど、それはイザヤの生きている間ではなかった。
また、彼が想像していたように劇的でもなかった。
神が絶妙のタイミングで祈りに応えてくださったという経験が、私達にもあるだろう。
だから、イザヤのように、「あの時のようにしてください」と願うのだけれど、神には別の考えがあるのだろう。
神が謙った姿で世に来られた事を祝う時、私達は気付くべきだ。
主が来られたのは、状況を変えるためだけではなく、私達の心を変えるためだった事を。
God Bless You!!
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