9月23日(土)の手紙


2017年9月23日(土)

『あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう。』サムエル記下12章10節


悪いことをして、親に見つかっては謝る、ということを繰り返していた10代の少年がいた。
それまでの態度に、両親はたいそう心を痛めていた。
だけど少年は、赦してもらえるのをいいことに、次から次へと悪いことをした。

ある日、父親は話をしようと、息子をガレージに連れ出した。
父親は、金づちでカレージの壁に釘を打ちつけた。
そして、その金づちを息子に渡すと、釘を抜くように言った。
少年は金づちを受け取ると、いとも簡単に釘を抜いた。

父は言った。
「これが赦しだよ。
おまえが悪さをするのは、釘を打つようなものだ。
赦しは、その釘を抜くことだ。」
「ああ、そう」と少年は気のない返事をした。

父は続けた。
「今度は、金づちで釘の跡を取り出してみなさい。」
「そんなこと出来るわけないよ」と少年。
「釘の跡を取り出すなんて、無理だよ。」

罪には報いがある。
この父親の話が象徴している通りに。

また、ダビデ王の生涯もそのことを証明している。
ダビデは赦されたけれど、姦淫と殺人という罪が傷跡を残し、子孫に及ぶまで数々の問題をもたらした。

この事実に、はっとさせられる。
これは私たちに対する、神の警告。
後々まで残る罪の後遺症から身を守る最善の策は、神に従って人生を送ることだ。
確かに、罪は赦され洗い流される。
だけど、罪が引き起こした結果は、甘んじて受けなければならない。

God Bless You!!

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