9月21日(水)の手紙


2016年9月21日(水)

『あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。』ペテロの第一の手紙1章18節~19節


輝く天国の玉座とカルバリの十字架は、どれほど離れているのだろう。
救い主の愛は、どれほど大きいのだろう。

イエス様は、栄光の絶頂から苦しみのどん底に下られ、再び、栄光に引き上げられたと、パウロはピリピ人への手紙に記している。

キリストは、永遠の創造主であり、すべての生き物の主であり、朽ちていく汚れた世とは無縁の誉れ高きお方だ。
主は、いのちの源で、無数の天使を従え、無限の賛美に値する。

にもかかわらず、このお方は、迷える人々を慈しみ、「…人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」。

イエス様は、このちっぽけな惑星に、何もできない赤子として来られた。
家畜の住処である臭く汚い洞窟の飼い葉桶の中に、御体を横たえられた。

成人されても住む家はなく、のどが渇いてサマリヤの女性に水を求める事もあった。
疲れ果てて、荒れ狂う嵐に揺れる船の中で眠られた事もあった。

罪のないイエス様は、一時は群衆に慕われたけれど、後には犯罪者として裁かれ、ローマ帝国の十字架にかけられ、苦しみと恥辱の中で死なれた。

神の玉座とカルバリの十字架は、これほど大きく離れている。
イエス様の慈しみとは、これほど大きな愛なのだ。

God Bless You!!

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