9月16日(土)の手紙


2017年9月16日(土)

『兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。』コリント人への第一の手紙2章1節


パウロは牧会をしていたとき、人に感心されようとはしなかった。
コリント人への手紙には「わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった」と記されている。

「すぐれた言葉」と訳されているギリシャ語は「仰々しい言葉」とか「気取った言葉」と言う意味だ。
つまり他の人を教えるためではなく、自分を立派に見せるために、その言葉を使っていることを暗示している。

パウロは才気あふれる聖書神学者だったけれど、自分がすごい人であることを示すために仰々しい言葉を用いたりしなかった。

聖書がだんだん分かってきた時は、パウロの模範にならおう。
ひけらかすために自分の知識を用いるのではなく、よく言葉を選んで、人を助けるために用いていこう。

賢いか否かを示すのは、何を知っているかではない。
いつ、どのようにそれを使うかを知っている者こそ、本当に賢い者だと言えるだろう。

God Bless You!!

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