9月11日(日)の手紙


2016年9月11日(日)

『さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。』へブル人への手紙11章1節


神の判断によって、なぜ善人が貧しくされ、悪人が豊かにされるのか、私にはわからない。
また、なぜ悪人が健康を享受し、信仰の人が病のゆえに人生を無駄にすごさざるをえないのかの理由がわからない。

しかも、そこには一貫性がない。
というのは、善人が幸福を享受し、悪人が不幸な人生を送ることもあるからだ。
神にどのような判断があって、こうしたことがなされたり許されたりするのか、私達にはわからない。

しかし神は最も善であり、最も知恵に富み、最も正しいお方であり、そのお方のうちには弱さもなく、思慮に欠けることもなく、不公平のかけらもない。

ともあれ、私達にとって有益なのは、善人も悪人も同様に被る幸福や不運を、重要なこととはみなさないようにすることだ。

God Bless You!!

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