8月8日(火)の手紙


2017年8月8日(火)

『だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。』コリント人への第一の手紙4章16節


プロ野を見ながら、「プロの選手たちは、本当に若々しいなぁ」と言い出したら、年齢を感じ出した証拠。
そして、「やあ、元気?」ではなく、「すごく元気そうだねぇ」と大げさな挨拶をするようになったら、まさしく年を取ってきたということだ。

年をとることは、避けられない。
その上、残念なことに、私たちは老いを恐れ、加齢を意味嫌うように世の中に教育されている。

だけど、年をとるとは、実際には素晴らしいことでもある。
特にクリスチャンは、年齢とともに、格段に良人になる可能性を与えられている。
パウロはその事実を「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」と言い現している。

このような人は、肉体に老化の兆しが少しずつ見られるのと同じように、人格に成熟の兆しが少しずつ見られるようになってくる。
年齢と共に成長するクリスチャンなら、気難しくなったり、融通が利かなくなったり、不親切になったりはしない。
むしろ、人を赦すこと、愛すること、気遣うことにおいて、ますます成熟していくはずだ。

加齢とはすなわち、イエスに似るための旅を続けること。
私たちは、年を重ねるにつれて、ますます自分の行動や態度、考えが、人を惹き付けずにはおかない主イエスの人格や暖かさを映し出すようにならなくてはならない。

年を重ねていく中で、イエスのように成長する機会を積極的にとらえよう。
そうすれば、周りの人たちは、私たちが年齢とともに素晴らしい人になっていくことに気づくだろう。

God Bless You!!

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