8月5日(土)の手紙


2017年8月5日(土)

『サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。』創世記21章2節


ため息をつきながら「約束したのになぁ」と言うのは、約束を守ってもらえなくてがっかりした時だ。
そういうことが繰り返されると、悲しみはより大きくなり、ため息は更に深くなる。

神が約束を守ってくださらなかったと感じたことがあるだろうか。
そのような気持ちは、長い時間の中でひたひたと忍び寄ってくる。

神がアブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民と」すると約束されてから、息子のイサクが生まれるまで、25年の歳月が流れた。
アブラハムは「主なる神よ、わたしには子がなく」と、神に疑問を抱き、妻の奴隷を通して子をもうけた。

だけど神は、色々なことがあっても、アブラハムに子孫の約束を繰り返し語られた。
そして、神を信じる忠実な者であるようにと命じられた。

聖書に示された神の約束を手にしようと祈る時、私たちは自分を神の御手のゆだね、神の時を待つ。
それは、心の平安、勇気、または必要が満たされることかもしれない。

祈りの答えを待っている時は、神に忘れられたのではないかと思うこともあるだろう。
だけど信頼とは、神の真実を心に抱きしめること。
神の約束は信じるなら、神は信頼に報いてくださる。

信仰は私たちにあり、時は神の御手にあるのだから。

God Bless You!!

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