8月28日(日)の手紙


2016年8月28日(日)

『しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。』ローマ人への手紙5章8節


フランクリン・グラハム師は、若い時に反抗的で粗暴だった事を後悔していた。

ある日、ハーレーダビッドソンのバイクで轟音を立てて父に金の無心に言った。
ひげも剃らず埃まみれの革ジャン姿で書斎に突進すると、そこではビリー・グラハム伝道団の理事会が行われていた。

ビリーは躊躇する事なく息子に声をかけ、彼を理事のひとり一人に誇らしげに紹介した。
息子の事を詫びたり、恥ずかしがったりはしなかった。

フランクリンは自伝「理由ある反抗」の中で、あの日の父の愛と敬意を反抗している時でも決して忘れなかったと語っている。

子どもにとって、親の愛は努力して勝ち取るものではない。
親が自分勝手な目的で愛を出し惜しみするならば、それは神ではなくサタンに従っている事になる。

私達は、神に愛される価値などない者だ。
神に愛される程の事はしていないし、それほどのものを持っているわけでもない。
私達は、神の模範として人を愛さなければならない。
特に、自分の子どもに対してはそうだ。

愛と敬意を持って、人と接しよう。
キリストが死んでくださった時、自分は罪人だった事を忘れないなら、それができるだろう。

God Bless You!!

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