8月21日(金)の手紙


2015年8月21日(金)

『聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである』ペテロの第二の手紙1章20節


こんな話を聞いた事がある。

シェイクスピアが欽定訳聖書の翻訳に関わったと憶測する人達がいるという。
彼らは、シェイクスピアは詩篇46篇を翻訳して、暗号を埋め込んだという。
この詩篇の前から46番目の単語はshake(シェイク)で、後ろから46番目の単語はspear(スピア)だ。

また欽定訳聖書の翻訳が行われていた1610年に、シェイクスピアは46歳だった。
こうした偶然が重なっている事は事実だけれど、この仮説を説明するものは、何もない。

聖書を解説しようとして、隠れたメッセージを見つけたという人達もいる。
前後の文脈を無視して聖書の御言葉を引用し、異端の教理に人々を導こうとするカルトもある。

たとえば、ヨハネによる福音書14章16節にある「助け主」という言葉は、自分達に与えられた「新しい啓示」を指しているなどと言う。
だけど、聖書の他の御言葉と照らし合わせるなら、イエス様が送られた「助け主」とは「聖霊様」の事であるのは明らかだ。

聖書の御言葉を、正しく読み解くためには、常に文脈に照らして解釈し、他の聖書箇所と照らし合わせながら検証しなくてはいけない。
こうすれば、暗号探しなどではなく、聖書が本当に語ろうとしている事に耳を傾ける事ができるだろう。

聖書の最高の注解書は、聖書そのものだから。

God Bless You!!


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