7月7日(金)の手紙


2017年7月7日(金)

『主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです。』詩篇71篇5節


エルサレムからエリコへ続く古代の道は、ユダの荒野の狭くて危険な深い渓谷沿いに通っている。その地の名前は、ワディ・ケルト。
詩篇23篇が霊感によって生まれた場所なので、「死の谷」として知られている。

だけどそこは、ダビデの希望の詩とは縁もゆかりもないような有様。
荒れた不毛の地で、危険な岸壁がそびえ立っている。
強盗には好都合だろうが、普通の人にとっては実に嫌な場所らしい。

実際のところ、「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません」と書いた時、ダビデはわざわいにつきまとわれていた。

だけど彼は、恐怖に押しつぶされてはいなかった。
彼の希望は、安全に通過できるように、神にわざわいを取り去ってもらうことではなかった。
神の臨在があることによって、困難なところも自信をもって通り過ぎて行けると、ダビデは語っている。
神に見捨てられてしまう心配がないからだ。

彼は、詩篇の別の箇所で、主が望みだとも語っている。
多くの人は、希望があると言っているけれど、その希望が確かだと宣言できる人は、キリストが希望だという人だけだ。

希望は、より良い環境や力や知力などによってもたらされるものではなく、主によってもたらされる。
希望を約束する権利は、天地の造り主であるこのお方だけが持っておられる。
また主は、その約束を果たす力も持っておられる。

God Bless You!!

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