7月30日(水)

7月30日(水)

『兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい』ガラテヤ人への手紙6章1節


イエス様のように、その人のありのままを受け入れなさいという意見を、最近よく耳にする。
相手が間違いをしても、面と向かって正してはいけないと示唆しているようにも聞こえる。

確かに、イエス様は人々を愛し、受け入れられた。
だけど、面と向かって人を正す事から、逃げたりはされなかった。
この事は、ルカによる福音書7章に記されている。

イエス様は、独善的なパリサイ人、シモンの夕食の招待を受けていた。
そこに評判の悪い女性が来て、高価な香油で主の足を洗った。
この女性が涙を流しながら、惜しみない敬愛を主に注いでいる時、シモンは内心、批判していた。
主は、それをご存知で、パリサイ人シモンの偽善をはっきりと指摘された。

シモンはたぶん、イエス様を陥れようと自宅に招いたのだろう。
イエス様は、シモンが足を洗う水さえ準備しなかった事を指摘された。
当時、足を洗う水を準備する事は、来客に対する常識的な礼儀だった。

そして、女性の過去を分かった上で、その真摯な悔い改めを認めて言われた。
「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである」と。

イエス様は、独善的な宗教家、不正な取税人、遊女達に礼儀正しく接したけれど、彼らの罪を取り繕うような事はなさらなかった。
主は、人々を愛しておられたので、面と向かって間違いを正されたのだ。

イエス様がされたのなら、私達もそうするべきじゃないだろうか。
本当に愛しているなら、あえて立ち向かい、間違いを正そうとするばずだから。

God Bless You!!

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