7月22日(火)

7月22日(火)

『わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた』テモテへの第二の手紙4章6節


パウロは、意志が強固で、不動の目的があった。

ピリピ人への手紙の中で、はっきりと語っている。
「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである」と。

どのような試練に遭おうとも、どのような苦難を通ろうとも、自分の人生をイエス様があがめられる手段にしようと固く決意していた。
そして、いささかもひるむ事なく、危険や苦しみ、投獄に耐え、自らの身体さえも犠牲として、主に喜んで捧げた。

どうしたら自分の身体で、イエス様をあがめる事ができるのか分からないという人がいるかも知れない。
そんな事は、信仰のために迫害される場合にのみ可能だと思うかも知れない。
だけど、それは間違っている。

誰かを励ます手紙を書く時、私達の手は主をあがめる事ができる。
使い走りをして人を助ける時、足は主をあがめる事ができる。
証しをしたり、賛美をしたりすると、口は主をあがめる事ができる。
贖い主であるキリストへの愛を祈りの中で言い表す時、心は主をあがめる事ができる。
神様の恵みをたたえる礼拝メッセージを喜んで一生懸命聞く時、耳は主をあがめる事ができる。

イエス様を知れば、日々の生活で主をあがめ、主を証しする事ができる。
何より、あなたにしかできない方法で主をあがめる事ができるように、あなたは造られているのだ。

God Bless You!!

a:376 t:1 y:0