7月20日(月)の手紙


2015年7月20日(月)

『その友に対するいつくしみをさし控える者は、全能者を恐れることをすてる』ヨブ記6章14節


何と言えばいいのだろう。
友人の車がトラックに追突され、友人は助かったけれど、三人の娘達が亡くなった時。

何と言えばいいのだろう。
お腹に六か月の子どもを宿した友のご主人が、その夜遺体で帰って来た時。

何と言えばいいのだろう。
津波で何もかも失ってしまった人に。

何と言えばいいのだろう。

聖書は、ヨブが悲しみに暮れていると、三人の友人がお悔やみを言って慰めようとやって来たと伝えている。
聖書は、「だれも一言も彼に話しかけなかった。
彼の痛みがあまりにもひどいのを見たからである」と語り、友人達が最初の七日間、ヨブと共に座して涙を流していたと記している。

彼らがそばにいてくれる事だけが、ヨブの慰めだった。
だけど、友人達は、やがて説教をし始めた。
ヨブが罪を犯したので、神罰が下ったに違いないと意見した。

ヨブの応答は、自分の必要を告げるものだった。
ヨブが求めたのは、希望を持ち続けるべき理由と友情、そして、「君のせいではない」という言葉だった。

何と言えばよいかわからないような時は、何も話さない方がいい。
ただ、悲しんでいる人に、耳を傾ける事くらいしかできないのだから。

God Bless You!!


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