7月17日(月)の手紙


2017年7月17日(月)

『トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。』ヨハネによる福音書20章28節


イエスが復活された後、弟子たちの前に現れて、ご自身の手と足を見せられた。
弟子たちは初め、嬉しさのあまり真実とは信じられなかったと聖書は語っている。

トマスは他の弟子たちと一緒にいなかったけれど、彼もまた、自分の目で確かめるまでは信じることができなかった。
だけど、イエスが現れ、釘で打ち付けられた穴に指を入れ、わき腹に手を差し入れなさいと言われた時、トマスは「わが主よ、わが神よ」と叫んだ。

後の時代になって、パウロはピリピの教会の人たちに、自分の苦しい体験を書き送っているけれど、その中でもイエスが「主」であると宣言している。
彼は、「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに」その他のどんな経験も損だと思うようになったと証言している。

私たちは、イエスが嵐を鎮めたり、死者を生き返らせたりしたところを見てはいない。
ガリラヤの丘でイエスの足元に座り、その教えを聞いたこともない。
だけど、このお方が身代わりになって死んで下さったことによって、自分は霊的に癒されたということを、信仰の目を通して見ている。

私たちはこのようにして、トマスやパウロ、その他のたくさんのクリスチャンたちと一緒に、イエスが主であると宣言するのだ。
肉眼で見ることはできないけれど、心で信じることができる。
イエスこそ、主なのだ。

イエスは、「見ずに信じる者は幸い」だと言われた。
私たちはイエスを「わが主よ、わが神よ」と呼ぶことができる。

God Bless You!!

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