7月16日(木)の手紙


2015年7月16日(木)

『ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た』イザヤ書6章1節


イザヤは見た。
彼は何と、自分の目で神の御姿を見たのだ。

神は、ご自分がどのようなお方なのかをイザヤに示された。
イザヤは、神の威光と尊厳を目の当たりにした。

イザヤは、神が聖なるお方であるという事について、実感を伴った理解を得た。
自分の罪深さと、神の完全さが対比されたのだ。
だけど、神の畏敬に満ちたご臨在は、罪を自覚させるだけではなく、私達の心をも癒してくれる。

この体験は、彼に大きな影響を与えた。
イザヤは、神の御声を聞き、それに応答した。

私達は、聖書の御言葉や御霊の働きによって神を見る事ができる。
だけど、いつの日か、私達は天国でキリストの姿を見る事になる。
きっと、息を呑むほど、興奮するだろう。

God Bless You!!


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