6月20日(木)の手紙


2015年8月20日(木)

『それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた』ダニエル書9章3節


祈ったために逮捕された85歳の老人を知っているだろうか。
名前を言えばわかるだろう。
それは、ダニエルだ。

バビロンにいたユダヤ人の老人で、神に向かって真心から祈ったために死刑を言い渡され、獅子の穴に放り込まれることになった。

ダニエルの祈りにまつわる話の中で、これは最も有名なものだけれど、聖書には彼の祈りについて他の記述もある。

たとえば、ダニエル9章は、彼がどのように祈ったかを記している。
彼はエレミヤ書の巻物を読んで、ユダヤ人の捕囚が70年続く事を知った。
その時、捕囚はすでに67年目に入っていたので、ダニエルはそれが終わる事を切望した。

当時、イスラエルの民は、正しく生きなさいという神の命令を無視していた。
そのような不信仰な人々に囲まれていても、ダニエルは正しく生きる決意をしていた。
そして、捕囚の期間を延ばさないでくださいと神に祈り始めた。

ダニエルの祈りは、神を崇め、罪を告白する事に焦点が置かれていた。
私達が祈る時でも、これは重要だ。
神が、「大いなる恐るべき」お方である事を認めて、「私達は罪を犯しました」と告白しなければならない。
ひざまずいたクリスチャンほど、堂々としている人はいない。

ダニエルを祈りの模範にしよう。
彼にとって祈りは、生命と同じほど大切だったのだ。

God Bless You!!


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