6月19日(日)の手紙


2016年6月19日(日)

『律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた』ローマ人への手紙5章20節


ある牧師は、礼拝説教の中で、世の中に罪がはびこっていると力説した。

彼が信号待ちをしていると、前の車に乗っていた人がドアを開けて、飲み終わったコーラの缶を捨てて走り去ったそうだ。

彼は言った。
「あれは間違った行為です。自己中心の罪です。
ひょっとしたら誰かの車のタイヤをパンクさせてしまうかも知れないし、事故の原因になるかも知れない。
私達は、ゴミのポイ捨てを罪とは考えないかも知れませんが、その事自体が、私達が生まれながらに罪の性質を持っているという証拠なのです」。

礼拝が終わり、牧師が出口で人々に挨拶をしていると、聖書学の教授をしている教会員が帰りぎわに寄って来て「罪は缶を道に捨てますが、恵みはそれを拾います」と静かに言って出て行った。

それから何年も経ったけれど、牧師は、その時の事を忘れていない。
ローマ人への手紙5章には、神の恵みについて語り、私達の心を非常に高揚させてくれる御言葉がある。

アダムのあやまちは罪を世にもたらし、罪の報いは全人類に及んだ。
だけど、神の恵みによって、神のひとり子を与えられた。
そのお方を信じるなら、すべての人は赦される。
人は罪を犯したけれど、神はあふれるばかりの恵みで応えてくださった。

神の恵みは「缶を拾う」だけではなく、罪人の心をもきよめてくださる。

God Bless You!!

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