6月14日(火)の手紙


2016年6月14日(火)

『そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである』ピリピ人への手紙1章20節


私達は皆、人や物事に期待している。
人に親切にされること、健康であること、幸せな結婚生活を送ること、良い友に恵まれること、仕事で成功することなどだ。

だけど、期待が外れたなら、どうなるだろう。
それは、ピリピ人への手紙が教えてくれる。

パウロは、人の期待を裏切られたけれど、少しも落ち込んでいなかった。
夫婦関係がギクシャクしたり、仕事が評価されなかったり、近所付き合いに悩まされたりすると、私達は落胆しがちだ。
だけど、パウロは投獄されても前向きだった。
困難によって、福音が前進したと語った。

人とは、期待外れな生き物かも知れない。
パウロはおそらく、他のクリスチャンに励まされる事を期待しただろう。
だけど、彼の投獄を喜ぶかのように、「ねたみや争い」から宣教をする人さえいた。
だけど、パウロは、「キリストが宣べ伝えられているのであって、この事を私は喜んでいる」と応答している。

配偶者が召されたり、左遷されたり、病気になったりして、将来の不安があるかもしれない。
パウロは、皇帝ネロがすぐにも処刑の命を出す可能性があると知っていた。
だけど、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」と宣言したのだ。

パウロのように、唯一の期待に生きよう。
何があっても、キリストを崇められるという期待だ。

God Bless You!!

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