6月11日(日)の手紙


2017年6月11日(日)

『なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。』ルカによる福音書6章41節


しつこい異物感は、マタイによる福音書7章にあるイエスの教えを思い出させてくれる。
他人を批判することについてだ。

まずは、イエスの「ちり」のたとえが、いかに実際的であるかをつくづく感じる。
誇張法、つまり大げさに表現するという文学的な技法を用いることで、イエスは自分の間違いを棚に上げて、他人を批判することの愚かさを効果的に説明された。

自分の目には大きな丸太が入っていると気づかない人が、人の目にあるちりを見つけることができるというのは、とても合点がいかない。
自分の過ちは無視して、人のことをとやかく言うなどとは考えられないことだ。

独善的な態度は、クリスチャンの生き方としてふさわしくない。
それは、はっきりしている。
人の汚点をさがす前に、自分の生き方を点検しよう。

「主よ、自分の罪に目をつぶりながら、他人の小さな罪をあげつらうばかりにならないように助けてください。
悔い改めるならば私たちは赦されることを、心から感謝いたします。アーメン。」

God Bless You!!

a:218 t:1 y:0