5月24日(日)の手紙



『わたしはわたしの見張所に立ち、物見やぐらに身を置き、望み見て、彼がわたしになんと語られるかを見、またわたしの訴えについて、わたし自らなんと答えたらよかろうかを見よう』ハバクク書2章1節


私達はせっかちで、即答を求めがちだ。
答えがすぐ出ないと、気力をそがれてしまう。
神様のご介入がすぐないと、なぜだろう、いつだろう、どのくらい待つのだろうと困惑してしまう。

ハバククも、そうだった。
だけど、神様は時間をかける事を選ばれ、「この幻は、なお、定めの時のためである」と答えられた。

信仰は、決して諦めない。
目下の状況はどうであれ、すべてが益とされると分かっているからだ。
神様に全幅の信頼を置いているので、御手の介入の兆しが見えない時でも、待つ事ができる。

私達は、「遅れてもまったくかまいません」と考えるべきだ。
遅れは、不安や苛立ち、不快感ではなく、むしろ祈りを生む動機になる。
また、謙遜、忍耐、心の平安や強さなどの朽ちない美徳を養い育てる絶好の機会でもある。
神様は、私達の忍耐力を訓練して、心を大きくしてくださるのだ。

神様は、理由もなく「待ちなさい」とは言われない。
人の心や状況に働きかけて、必ず恵みを施される。

だから、しっかりしよう。
主は言われる。
「…それを待て。それは必ず来る」と。

God Bless You!!


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