5月20日(水)の手紙



『何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい』ピリピ人への手紙2章3節


ネブカデネザル王は、シャデラク、メシャク、アベデネゴが金の像を拝まなかったと聞いて怒り、彼らを連れてくるように命じた。

そして、彼らが自分の思い通りにならないとわかると、怒りに満ち、顔つきが変わってしまうまでになったと聖書にある。

私達は皆、怒りを制御するのに苦労する。
聖書は、「怒っても、罪を犯してはなりません」と語っているから、怒りが常に悪い訳ではないだろう。

怒るべき時は、確かにある。
だけど、多くの怒りは、ネブカデネザル王と同様、自分のプライドやエゴが傷つくのが原因だ。
もし、怒りにコントロールされてしまったなら、私達は自制心を失い、ひどい事を言ったりするかも知れない。

もし、自分ではなく人の事を優先しようとするなら、それは怒りを制御する第一歩を踏み出す事になる。
人は、怒りにコントロールされた時、自分の最も醜い部分をあらわしているのだ。

God Bless You!!


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