5月19日(月)
『しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない』コリント人への第二の手紙4章5節
福音伝道という言葉から、どんな光景を想像するだろう。
満席の大ホールや、賛美の大合唱だろうか。
十字架のペンダントを身につけたり、まだイエス・キリストを信じていない人達と激論したりする、燃えるクリスチャンだろうか。
それとも、有名人の証しのトラクトを駅前で配ったり、家々のポストに投函したりする姿だろうか。
クリスチャンの中には、伝道という言葉に違和感を持つ人もいる。
それはとても素晴らしい事だけれど、自分にはあまり関係がないと思っている人もいる。
自分には伝道の賜物もないし、議論に勝てるほど賢くないと思っている。
伝道するとは、うまい事を言って、必要のないものを買わせる事じゃない。
その人の心に響いた訳でもないのに、信じなさいと無理強いする事でもない。
「誰が伝道されたのかは、その人達の疲れた顔を見ればよくわかる」という皮肉めいた言葉さえある。
福音を聞く人達にとって、それはもはや喜びの言葉じゃなく、押し付けられた言葉なので、残るものは、疲労しかないという意味だ。
伝道とは、イエス様について自分が知っている事を他の人に語り継ぐ事だ。
計略やごまかしはない。
ただ、真実だけを、愛をもって語る事だ。
そして、結果は、神様にゆだねよう。
本当に救いの喜びを知っているなら、福音伝道は、誰にとっても喜びの訪れとなるだろう。
God Bless You!!
a:388 t:1 y:0