5月11日(水)の手紙


2016年5月11日(水)

『主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り』イザヤ書40章22節


まず、質問を。
からすが山より大きいのは、どんな時か。

その答えは、からすが近くにいる時だ。
実際には、からすが山より大きい事などないが、その鳥が窓枠にとまり、向こうには遥か遠くに山が見えるというならば、からすと山の大きさは、そんな風に見えるだろう。

私達は、問題に直面すると、神の存在をこれと同じような感覚で捉えてしまいがちだ。
自分の抱える様々な問題は、自分の近くにあるために、とても大きく感じる。
ぎょろっとした目と鋭いくちばしの大きな黒い鳥ににらまれて、体力も気力も消耗して無力感が押し寄せ、今にもやられてしまいそうな気分になっていく。

そんな時、神は、遠くにある山のようだ。
小さくて、手の届かないお方に見えてしまう。

だけど、預言者イザヤは「だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山を天秤で量り、丘をはかりで量ったのか」と問いかけている。

この質問は、物の見方を変えてくれる。
イザヤは、神が「疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつけ」てくださると教えている。

からすが山よりも大きくないように、問題も神より大きくはない。
私達が自分の物の見方を変える事が大切なのだ。
私達が礼拝する神は、どんな問題にも負けない強いお方だから。

God Bless You!!

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