4月26日(日)の手紙



『あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである』コロサイ人への手紙1章21節~22節


伝道の賜物がない者にとって、「個人伝道」という言葉は過去の苦い思い出や不安を思いださせる。

実際、効果的な個人伝道の方法と言われているハウツーものに沿って、救いを伝えようとして、まったくうまくいかず落胆した人もいるだろう。

だけど、私達には、「つけ足しのない伝道」が必要なのだ。
信仰を伝えるとは、自分らしくする事だ。
他の人のやり方や物語を使うのではなく、ただ自分らしくしている事が重要ではないだろうか。

法廷では、他人から聞いた話に基づいて証言する事はできない。
自分が見た事以外は、信憑性に欠けるからだ。

信仰に基づいても、同じ事が言える。
キリストが私にしてくださった事は、実際に起きた事だ。
これ以上の証はない。
その体験をドラマチックに飾り立てる必要はない。
私達を罪から救い、守り導いてくださるキリストの力について、私達が真実を語るならば、その証は信頼に足るものとなる。

もし、個人伝道の訓練を受けていないからとキリストを証する事を躊躇しているなら、別のやり方を試してみよう。
それは、自分らしくする事だ。
イエス様に癒してもらった盲目の人は、「私は盲目であったのに、今は見える」とだけ言った。
だから、私達も真実を語ろう。

God Bless You!!


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