4月13日(月)の手紙



『そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である』ペテロの第一の手紙1章12節


観光名所を眺めている人達を、観察した事があるだろうか。
観光客は、もっと良く見ようと首を伸ばしている。
これを、「ラバーネック」と言う人がいる。
「好奇心をもって観察する」という意味だそうだ。

そんな魅了された姿が天国にもあると、聖書は語っている。
それは、御使い達の事だ。
彼らは、神様の赦しの計画をうかがい見たいとじっと見つめていると、ペテロは記している。

ここで、「うかがい見たい」と日本語に訳されているギリシャ語の単語は、「身体をかがめて、好奇心を持って注意深く見る」という意味だ。

だけど、なぜ御使いは、人の救いにそれほど魅了されたのだろう。
それは、神様が罪の問題を解決された「十字架」という方法が、あまりにも見事だったからではないだろうか。

神様は、その聖なる掟をしっかり保ちながら、罪のない御子を私達の身代わりにされ、罪の代価を支払ってくださった。

だから、神様は、どんな人でもあがなってくださる。
悔い改めてイエス様を信じ、イエス様による救いを受け入れればよいのだ。

私達は、自分の救いに感謝しているだろうか。
御使いも、感謝している。
罪人が悔い改めてキリストを信じる時、御使い達も喜んでいる。

God Bless You!!


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