4月12日(火)の手紙


2016年4月12日(火)

『もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい』テモテへの第一の手紙5章8節


主の働きに献身している人にも、変化が訪れる時が来る。
フルタイムの奉仕をパートタイムにしたり、その働きから完全に退職したりする。
家庭の事情、つまり親兄弟、または配偶者を介護するためにそうせざるを得ない人もいる。
子どもに特別な必要が生じた人もいるだろう。

彼らは、奉仕のために豊かな賜物が与えられ、実り多い働きをしていた。
全員が、主のためにすべき事はまだ十分にあると思っている。
彼らは、主の働きをライフワークとして何年もかけて自ら準備し、奉仕してきたのだから、このような決断は辛い事だ。
引退するには、まだ若すぎるからだ。

だけど、彼らはライフワークを諦めたのではなく、むしろ別のライフワークを与えられたのではないだろうか。
人を愛し世話をする事は、私達のライフワークであり、自分の家庭を顧みる事は非常に尊い働きだ。
そういう愛を否定するなら、冷淡で面倒見の悪い世の中の一員になってしまう。

家族の介護のために、仕事を辞められる人ばかりではない。
家庭の経済状況や社会的責任のために、それができない人もいる。
だけど、愛は、神の働き人の証ではないだろうか。

イエス様は、神の子どものひとりに一杯の水を与える者は「決して報いから漏れることはない」と約束された。

神の愛を持とう。
本当の愛は、感情ではなく行動によって明らかにされるものだから。

God Bless You!!

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