3月9日(月)の手紙


『主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない』詩篇23篇1節


彼らは皆クリスチャンの学生だけれど、そうでない人達と同じように、人生に対する不安を持っていた。

そんな彼らに、まず「心配だ」と言いたくなったら、代わりに「主はわたしの牧者。だから死ぬほど心配だ!」と言うように進言した。

これは、ちょっとしたゲームだ。
生徒達は、その突飛なアイディアに大笑いしたけれど、皆、この「心の平安ゲーム」をする事を約束して帰った。

後日、ひとりの女性から電話が入った。
彼女は、学校の試験が心配で、眠れないほどだった。
ところが、「平安ゲーム」のおかげで、神様を信頼する事ができたという。

彼女は、心配で眠れないと思った時、あのゲームを思い出して、「主はわたしの牧者。…だから赤点を取りそうで心配!」と言った。
すると、不思議と平安な気持ちになって、悩んでいる自分が滑稽に思えたと語った。
そして、テストでは、無事合格点を取ったそうだ。

「主はわたしの牧者。だから死ぬほど心配だ!」という言葉は、心配する事が不合理だと示すだけではない。
私達がもっと神様を信頼できるようにと、神様は、この矛盾した言葉を用いる事ができるお方なのだ。

心配でたまらない状態とは、不信仰なだけではない。
まだ起こってもいない問題を借りてきて、それに利子を払っているようなものだ。
無駄以外の何物でもない。

God Bless You!!


a:221 t:1 y:0