3月28日(金)
『人に望ましいのは、いつくしみ深いことである、貧しい人は偽りをいう人にまさる』箴言19章22節
正直で親切なタクシーの運転手さんが、後部座席に財布を置き忘れた婦人を捜して、街中を一時間以上も走り回っていた。
彼は、20万円相当の財布の中身を失敬してしまえばいいのにとからかう同僚に、こう言った。
「私は、正真正銘のクリスチャンです。
教会の礼拝メッセージを聴いても、それを実行しないなら、何の意味があるのですか」。
まったく、同感だ。
感服する。
出エジプト記23章には、イスラエルの民に、神様が命じられた掟が書かれているけれど、その原則は、正直と親切だ。
例えば、迷った家畜は、仮に自分の敵の所有だったとしても、正直に持ち主のもとに返す事。
自分を憎んでいる人のろばが、荷物の下敷きになっているのを見たら、親切にそのろばを立たせるのを助けてやる事。
貧しい人が、不公平な扱いを受けないように、費用がかかっても気遣って助けてやる事。
地主は、7年目には農地を休ませ、貧しい人には自由に落穂拾いをさせる事などだ。
正直な人は、人情味に欠けるかも知れない。
親切な人は、正しさという点では、生ぬるいかも知れない。
だけど、正直と親切をひとつにするなら、それは、神様に誉れをお返しし、人々の祝福となるだろう。
そして、「愛」を加えるのだ。
それは、正直と親切をひとつにする唯一のものだ。
愛のない正直は、自己満足だ。
愛のない親切は、偽善者だ。
本当のクリスチャンとは、敵を作らずに、言うべき事をはっきり言う人なのかも知れない。
そこに、「愛」があるなら…。
God Bless You!!
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