3月26日(土)の手紙


2016年3月26日(土)

『言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」』マタイによる福音書27章4節


わずかなお金でイエス様を裏切ったユダの心に、30枚の銀貨が穴を開けた。
イエス様が両手を縛られて裁判の場に引かれていくのを見た時、ユダはどんな気持ちだったのだろう。

彼は、その手が嵐の海を静め、目の不自由な人や口がきけない人に触れたのを見てきた。
その愛の手に、彼自身の人生も何度も触れられたのに。

ユダにとって、その銀貨はもはや報酬ではなく、自分の過ちを思い出させるものだった。
歩くたびに響く銀貨の音が、哀悼歌となって彼を責めた。
そして、絶望の中で「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と認めた。

イエス様を裏切るような選択をするならば、私達の人生は結局、悲しみに満ちたものになる。
主を愛し、主に仕えたいと願う人達でさえ、お金やその他の誘惑にたびたび出会って葛藤する。
だけど、イエス様を犠牲にして手にしたものは、最後には必ず後悔と悲しみの象徴になってしまうだろう。

金銭や他の問題に関して、何か決めなければならない事がある時は、ユダを責めた銀貨を思い出せばいい。
そして、慈しみ深いお方を思い出せばいい。
裏切る決断をしないためにも…。

God Bless You!!

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