3月19日(水)

3月19日(水)

『わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい』コリント人への第一の手紙11章1節


幼い少年が、初老の男性を見上げて尋ねた。
「ねえ、おじいちゃん。
どうやってイエス様のために生きるの?」

おじいさんは、膝をかがめて静かに言った。
「見ていてごらん」

おじいさんは、少年にとってイエス様に従う事を指し示す手本だった。
その生き方が、揺らぐ事はなかった。
だけど、孫の方は、神様を悲しませる選択を度々してしまったのだ。

歳月が過ぎたある日、若者になった少年は、祖父のもとを訪ねたけれど、それが最後の面会だと、ふたりとも分かっていた。

若者が、死の床にある老人の傍らに身をかがめると、かすかな声が「見ていたかい?」と語りかけた。

それが、彼のターニングポイントになった。
「見ていてごらん」という祖父の言葉は、パウロの言葉と同じだと分かったからだ。
彼は、「これからは、おじいちゃんのように、主に喜んでいただけるように、懸命に生きよう」と心に誓ったのだ。

彼は、祖父の人生を見ていたので、いかに生きるべきか分かっていたのだ。
良い手本にまさる礼拝メッセージは、この世には存在していない。

God Bless You!!